2019年5月、北ドイツに旅行し、カール・フリードリッヒ・ガウス(1777-1855)ゆかりのハルツ山地のブロッケン山の登山とゲッチンゲン大学を訪問した。そもそも退職老人夫婦の気ままなぶらり旅であるので、基本は観光旅行なのである。バッハ生誕の地チューリンゲン州アイゼナッハ、ワイマール、イエナ、ライプチッヒ、ベルリン等ありふれた観光コースを調べているうちに、ガウスがいたゲッチンゲン大学がこのコースに近いことに気づいた。
ガウスは、私が専門学校で使用している拙著「改訂版測量数学テキスト」に名前が出てくる唯一の人物である。ガウスは、測量技術者には測量誤差の分布を表すガウス分布及びガウスの等角投影法でよく知られている。しかし、一般には天才数学者、物理学者で、私たち測量を職業とする者とは違う理論家のイメージを持つ人が多いのではないだろうか。
拙著では、ユーロ導入前のドイツの10マルク札を使ってガウスの紹介をしている。この札に描かれたガウスの肖像と誤差の分布で知られるガウス分布は理解できるが、それ以外に建物の風景、六分儀、測量網については、正直に言って何も知らなかったのである。しかし、この札を見ると、ガウスは明らかに実地に測量を実践した人であることがわかる。そこで、測量を実践したガウスのことをもう少し知りたいと思うようになり、ガウスの測量の足跡を巡ってみることをスケジュールにいれることにしたのである。この旅で見聞したことをここに記録として残したい。
ダニングトン著「ガウスの生涯」(東京図書、1976)を読むと、ガウスが測量した三角測量網図(図2)が載っている。図にはゲッチンゲン天文台を通る子午線が記入されているが、ガウスは1807年から1855年に亡くなるまで48年間このゲッチンゲン天文台の台長を務め、ゲッチンゲン天文台を通る子午線を三角測量網の経度の基準にしようと考えていたようだ。ブロッケン山は、ゲッチンゲンの北東にあり、高さが1141m、北ドイツで最も高い。測量網の最も南にあるブロッケン、インゼルスベルク、ホーアー=ハーゲン(図2ではホーエンハーゲンと記載されている)を結ぶ三角形は、この測量網の中で最も大きく、「ガウスの大三角形」として知られている。ブロッケンからインゼルスベルグ間の距離が106km、ブロッケンからホーアー=ハーゲン間の距離が68kmである。
100kmを超える測線は、日本の一等三角点測量でも離島の測量にしかない。測量の目標点をとらえるのは難しい。このため、ガウスは、太陽光を鏡で反射させて器械点に十分明るい光を送ることができる回照器(ヘリオトロープ)を発明し、それを使ってこの測量網を効率よく測量することができたとされている。
前置きはこの位にしておこう。2019年5月5日(日)の午後、ライプチッヒ中央駅から近郊列車のSバーンでライプチッヒ/ハレ空港に移動、バッハの生誕の地であるアイゼナッハまでAVISでレンタカーを借りた。初めての国で車を運転しても不安はないかと聞かれることもあるが、カーナビがあるので道に迷うことなく自動車旅行ができる。私は、いつも自分のスマホに現地のSIMを差し込んで、グーグルナビを使っている。自分のスマホだと外国でも日本語で案内してもらえるので便利である上に、後で何時ころどこを通ったかというタイムラインが記録されるので、これを愛用している。
前日まで雪交じりの雨が降り気温が下がっていたが、5日はよく晴れてドライブ日和だった。空港からハイウェイの14号線に入り、ヘンデルが生まれたハレの街の郊外を通り過ぎ、途中で左折し36号線で西に向かい、広大な黄色の畑と緑の畑の中を走った。黄色の畑とは菜の花畑である。こんなに広い菜の花畑は日本では見たことがない。ドイツの菜の花畑からとれる菜種油はバイオ燃料としても使用される。また、発電用の風車もあちらこちらで回っている。風力発電の風車と合わせ、脱原子力発電を掲げるドイツらしい風景だと感心した。
36号線に入ると、左側にハルツ山地の山並みが続き、正面に、山頂に大きな建物が建っている高い山が見えてきた。あれがブロッケン山かと思いながら走って行くと、平地から少し小高い所にヴェルニゲローデ城が見え、出発してから1時間半くらいでヴェルニゲローデ旧市街の近くに予約したホテルに到着した。
ヴェルニゲローデは、私が訪れる初めてのドイツの田舎町であるが、その旧市街地はドイツの伝統的な木造建築がよく保存されていて、観光客に人気があるらしい。早速ホテルを出て、街の様子を見に行く。旧市街地の道路は石畳になっていて、きれいに掃除がされ、メインストリートは木造のかわいらしい家が長屋のように隙間なく立ち並んでいて、独特な雰囲気がある。建物の1階は大抵お店になっていて、歩きながらウィンドショッピングをし、旧市街の風景を楽しんだ。
途中で道路の花崗岩の縁石部分に測量点と書かれた金属標識が張り付けてあるのに気が付いた。日本では、測量用の金属鋲の中心に十字線が使われているが、この標識は、図6のように中心が円形になっていて少し凹んでいる。TSの光学求心器は視準のためのヘアーが円形なので、基準点の中心も円形の方が十字より合わせやすいのかもしれない。また、GNSSアンテナ等を付けた測量用ポールを基準点に立てる時、基準点の中心が丸く凹んでいると、ぴたっと正しい位置に合わせて動かないように保持するのに都合がよさそうである。
マンホールの蓋を見るのも旅のささやかな楽しみの一つである。この町のマンホールは、中央に城、落とし格子のある門、鱒がデザインされたヴェルニゲローデの紋章とSTADT WERNIGERODE (ヴェルニゲローデ市)という文字が入っていた。
歩いているうちに、市役所前の広場に出た。ヴェルニゲローデの市役所は、図8のように2つの尖った塔と見晴らし台を持つ大変美しいおとぎの国というかアニメの世界を想像させるような建築である。上層の橙色の壁、クリーム色の下層の壁に柱が茶色いくつも伸びている。入り口もたくさんある。2つの階段をもつ2階の入り口が最も立派に見えるが、一階にも階段の間及び階段の両脇の塔の下辺りに入口が見え、空想の世界の人物が出入りする館のようなワクワク感のあるデザインで、アミューズメントパークに来たような感じだ。
ハルツ山地には、魔女がたくさん住んでいて、1年に1回魔女達がブロッケン山に集まるという伝説があり、ゲーテのファウス「ファウスト」にも登場する。ブロッケン山は行政区域として、ヴェルニゲローデ地区に含まれていて、この市庁舎はそうした伝説の山にお似合いのデザインである。
到着が遅かったせいですぐ夕方になり、この後、西の城門や鉄道のヴェルニゲローデ西門駅周辺を散歩してから、ニコライ広場の角のレストランで夕食をとりホテルに戻った。
5月6日の朝、ヴェルニゲローデを出発し、深い針葉樹の森の中をドライブしてブロッケン山の登山口であるシールケまで行った。山頂まで舗装道路はあるが、ハルツ山地国立公園内は一般車両の通行ができない。それで、魔女が住む?山をガウスと同様に徒歩で登り、帰りは楽しみにしていた列車に乗ってシールケに戻ることにした。
シールケ駅に比較的近い駐車場に車をおいて、登山道入り口までしばらくシールケの街を歩いたが、シールケは宿泊施設などが立ち並ぶリゾート地である。この日はシーズンオフで朝気温が下がり、雪がちらほら降っていたせいか、人の姿はなく、静まり返っていた。途中にパン屋ブロッケンベーカーがあり、パンと水を仕入れた。
シールケから山頂まで約6km、森の中の登山路はよく整備されていて歩きやすい。途中で鉄道と交差する。この線は、ブロッケン山頂にいくハルツ山狭軌鉄道の支線で、1890年代に建設されたものである。蒸気機関車が牽引する列車は、鉄道ファンには人気がある。丁度列車が山頂方向に登ってくるのが見えた。貨物車1両と客車を引っ張って力強く坂を登る蒸気機関車の風景はまさに感動的で、写真が撮れたのは幸運としか言いようがない。
後日分かったことであるが、旧信越本線の急勾配で知られた横川・軽井沢間に採用されたアブト式は、ドイツの「ハルツ山鉄道」の技術を導入したものだそうだ。ガウス以来、日本とドイツは、土木測量技術では様々なところでつながっていたことに感動を覚える。
登山道は、この先やや勾配が急になり残雪の森林を抜けるとアスファルト舗装の道に出た。そこから上は高木の森林はなくなり、低木が中心の植生に変わって見晴らしがよくなった。途中の道は、魔女と出会えそうな暗い場所は残念ながらなかった。ブロッケン山頂駅を通り過ぎる頃、幸い頭上に青空が広がり気持ちのいい天気になった。
山頂は傾斜の緩い広い高原になっていて、そこから360°の展望がひらけていた。山頂の最も高い所には、大きな石があり、そこにBROCKEN 1142mと書かれた銘板及び標高の位置を表示するマークを示す金属のプレートが埋め込まれている。標高値の表示をmの桁までにして、その高さの印を横線で表示するのは日本にはない、ドイツ流なのだろうか。こうした山の高さの表示方法は新鮮で面白いが、横線の位置が山の高さではない事が気になった。
このことについて後日調べたところ、面白い経緯があることがわかった。ブロッケン山は昔から有名で、その標高は1142mというのが定着していた。しかし、第二次大戦後にドイツが2つに分断されると、東西ドイツの境界線がブロッケン山の山頂のすぐ西側を通ることから、見晴らしの良い山頂には旧ソビエト軍が駐屯し監視と諜報のための建造物が作られた。東西ドイツの統一により、ソビエト軍が撤収し山頂が更地になってドイツ市民に返還された後、ブロッケン山の高さを測量すると、1141.2mということがわかった。その駐屯地の跡地をどう活用するか議論が行われた際に、まず山の高さである1142mを復元しようという決定がなされ、ブロッケン山の麓からいくつかの大きな花崗岩が山頂に運ばれて置かれ、図11のように、失われた1142mの高さのブロッケン山が復元されたということである。1142mを示す横線には、東西ドイツに分断された国の歴史と山の高さに対する人々の強い執着が刻まれているのである。
ガスがかかっていて遠くは見えないのであるが、ガウスが測量したインゼルスベルクは、どの方向であるのかと思っていると、一定の間隔で地面に置かれている銘板の中に「Inselsberg 106km」と大きな字で書かれたのを見つけた。そこには、さらに小さな字で「ガウスの三角形」、中央の石を参照してください、と書かれている。
図11の記念写真を撮った石の後ろ側に、図13の銘板があった。ここには、ブロッケン-ホーアー=ハーゲン-インゼルスベルクの三角形は、ハノーバー公国の測量(1821-1825)において、ガウスが地球の形を決めるために測定した最大の三角形であると書かれている。この場所がまさに、ガウスが測量をした場所であることを確認する証拠を見つけ、わざわざ訪ねてきた甲斐があった。
さらに図13の銘板の下には、ブロッケン山の地球重力加速度の公式値9,81000m/s2と記した銘板が取り付けられていた。この重力値について、有効数字6桁の内、零が3つ付いているのは、憶えやすい値である反面ほんとかなという疑問も湧く。これについて調べたところ、ハルツ地方のビジネス雑誌“Wirtschaftsstandort Landkreis Harz” 2013年10月の記事に、2013年にMicro-gLaCosteの絶対重力計により測定されたブロッケン山頂における重力値は、9,81000169m/s2であると書かれている。ザクセン・アンハルト州の開発運輸大臣から測定現場に招かれた記者に発表されたということである。この記事を読んで、1985年頃だったと思うが、鹿児島県鹿屋市にあった国土地理院の人工衛星観測室で初めて佐久間式絶対重力計で重力測定が行われた時に、私も現場に立ち会い、地元の報道関係者をお招きして測定を取材していただいたことがあったことを懐かしく思い出した。重力は、地下探査を行ったり、高さの変化を調べたりするのに役立つ。ブロッケン山には子供たちがたくさん訪れるので、この銘板は重力とは何か考えさせるいい教育材料になっていると思われる。
ブロッケン山頂には、高山植物園、ハイキングコース、博物館であるブロッケンハウス、カフェなどがあり、一日ゆっくり楽しめるが、我々はその日の午後3時にゲッチンゲン大学でガウスゆかりの測量機などを見学させていただく約束があったので、大急ぎで12時21分発の列車に乗り込んだ。列車は山をぐるりと回るように下って行き、約50分でシールケに着いた。